”普段と変わらない日常がそこにある”と再確認できたのが最高の誕生日プレゼント

10月は私の誕生日があります。

おそらくどこの家庭でも「プレゼントはなにがいい?」「今日は何が食べたい?」などと、特別な日を演出しようと気を配ってくれると思います。

この日がなければ私は存在しないと思うと、そうやってその日を祝おうとしてくれるというのは非常に嬉しい気持ちになります。

でも、本音を言えば”記念すべきこの日であっても、いつもと変わらない日常が当たり前に訪れたというのがたまらなく嬉しい”というのが率直な感想です。

こんなこと、家族に行ったら「何が食べたいか言えよ(笑)」って笑われちゃいましたけどね。

普段と同じ日常が当たり前に来るとは限らない

正直、コロナ禍という状況にある現在、または大規模な自然災害とかそれらに伴う日常の変貌ぶりをみていたら、ついこの前まで当たり前だったことが今日も当たり前にあるということは素晴らしいことだと思います。

そしてこの先も、同じように穏やかな日常がずっと続くのかと言われると、先のことはわかりませんが、おそらく毎年のように何かしらのアクシデントが起こるんじゃないかとすら感じます。

もしかしたら、平穏な日常をどんなに望んだことであり、手に入れたいと願った日常であったとしても、もしかしたら手に入らないかもしれません。

だとすると、こうやって家族や周囲の人たちが健やかに日常生活を送れている普通の日常が、誕生日にも訪れたというのがなによりのギフトだったりするんじゃないでしょうか。

昨今の様々な災いのせいで、誕生日を迎えられなかった人だってたくさんいるわけです。

このことだけをみても、私は恵まれているのだと思わずにはいられません。

誕生日とはいえ年齢はそれほど重視しなくなった

年齢によって何かができるようになったり、公的な立場が変化することって、成人する20歳くらいが一区切りだと思います。

もちろん、それ以降も年齢制限のようなものが見受けられることもありますが、年功序列で昇進したなんてことも、徐々になくなりつつあります。

仕事で高齢者とよく接することがありますが、みなさん(認知症がない状態であったとしても)自分の誕生日は覚えているのですが、年齢についてはよく覚えていないという返事をすることが多いです。

ちょっと極端な例かもしれませんが、それほど年齢を意識しない状態でも生活できるということと、逆に年齢に縛られていると絶好のチャンスを逃してしまうこともあるということを感じます。

年齢は何かを始める区切りにもなるしブレーキにもなる

よく「30歳になったら〇〇をやめる」とか「40歳になったんだし、□□を始めてみようか」なんてことを考えている人がいますが、これだと見方によっては損していると思いませんか。

39歳の人が「40歳になったら□□を始めてみようか」って考えたとしたら、まだ1年もあるんですよね。

1年も待つ意味って何なんでしょう。

思い立った時にスタートしていたら、40歳のときには1年ものキャリアができます。

これの代表的なものに”禁煙”があります。

タバコをやめる気が少しでもあるんだったら、禁煙なんて今すぐにでも始めたらいいと思います。

わざわざ自分に執行猶予を与えるということになると、期限までの数日、あるいは数年というのは別になくてもいいし、自分への言い訳に過ぎないと思うんです。

もちろん「40歳になったことだし、タバコをやめよう」というような年齢の利用の仕方はありだと思いますが、「40歳になったら・・・」というのはあまり意味がありません。

思い立ったら吉日なんですよ。

誕生日には普段と変わらぬ日常に感謝しつつ”普通”を満喫しよう

年齢を理由になにかを始めたり、逆にやめたりするというのは、おそらくその日を”特別な日”にしたいという想いもあるのではないかと思います。

でも、自分がこの世に生まれた記念の日ということ以外では、実は普段と変わらない1日に過ぎないということもわかっています。

なので私の場合は、自分がこの世に生まれた日であるということをありがたく思い両親に感謝しつつ、普通の穏やかな1日が訪れたということを嬉しく思い、かつその事実に感謝しつつ、これにとらわれることなく日常を過ごしていくのみです。

とはいえ、自分の誕生日を忘れずにいてくれて、祝ってくれるというのは嬉しいものですね。

若いときのように、日付が変わった瞬間にサプライズでメールや電話がひっきりなしにくるということはもうなくなりましたが、覚えてくれている人はいます。

両親であったり、兄弟であったり、妻や子どもであったり。

お互いを大切に想っているからこそ訪れる特別な普通の1日。

今年もまた良い思い出ができました。

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