子どもは小学生になっても自分の感情を表現するのが難しいから親が察することを忘れないで

運動会の当日だというのに、朝ごはんはほとんど食べないし準備はノロノロしてるし。

「リレーで1位になりたいならしっかりしろ!」

と朝から気合を入れて送り出しましたが、後になって気がつきました。

うちの子、ものすごく繊細で、ものすごく緊張していたんだなって。

気づいた時にはものすごく恥ずかしくなりましたが、それと同時に小学1年生になったといっても、まだまだ自分の感情を豊かに表現することができないんだなと思い知らされました。

小学1年生とはいっても自己表現はまだまだ思うようにはいかない

これは小学生にかぎらず幼稚園児でも同じですが、日々の成長がめざましくて「このくらいならちゃんとできるだろう」とか「困ったことがあったらなんでも報連相(報告・連絡・相談)してくるだろう」って錯覚してしまいます。

しかし、そんなに親の希望や都合どおりにはいきません。

実際、今となってはトイレが自力でできるようになった3歳の長男でも、最初は幼稚園だと成功するのに自宅だと失敗したり、親をトイレに同伴させようとしたりという時期が長くありました。

また、自宅ではトイレが自立しているのに、外出先では失敗してしまったり。

ある日、急に元気がなくなってみたり、急に大きな声をあげて怒り出したり。

そんな、一見すると理解不能な状態にも、深く観察してみるとそれなりの理由があるということがわかります。

子どものやることにはすべてにおいて理由がある

長男のトイレの話でいうと、幼稚園と自宅では完全に分けて状況判断していることがわかります。

幼稚園だと、自分で行くしかないなという考えであっても、自宅には親がいます。

子ども的には「なんでお父さんやお母さんがいるのに一人で行かなくちゃいけないの?」という感じでしょうか。

急に怒り出したときは、0歳の次女に付きっきりで相手をしてあげられていない寂しさから。

急に大声を出している時は、新型コロナウイルスの感染拡大を予防するための自粛生活が長期化することで心身ともにストレスが高まっているから。

と、このようにちゃんと子どもなりの理由があるのですが、子どもはそうだと言葉で示してくれるわけではありません。

こちらが、その事象に対して「なんでだろう」と想いやることで初めてはっきりとすることばかりです。

今回の小学1年生の長女のことについても、実際のリレーの場面に緊張からくるストレスが見事に表現されていました。

実際にリレーの選手としてトラックを走っているときのスピードよりも、役目を終えて自陣に戻るスピードのほうが圧倒的に速いのです。

思わず妻と「こんなに分かりやすい子どもっている!?」なんて話したほどです。

それほど分かりやすいにもかかわらず、こちらの都合を優先して察してあげられなかったことを反省しました。

ストレス社会と戦っているのは大人も子どもも同じこと

程度や種類の違いはあっても、子どもは子どもなりのストレスと戦いながら生きています。

自分も昔は子どもだったわけですから、そんなことは理解しているつもりでしたが、配慮が足りませんでした。

そして、そんな子どもなりのストレスをうまく言語化して親や先生に伝えるということも、なかなか難しいということも。

だからこそ、子どもにとって一番身近な環境である親がちゃんと目を配って配慮してあげるべきでした。

いつもと様子が違うと感じたら、ちゃんと向き合って話を聞いてあげることをしていても、子どもにとってはうまく言葉で表現できないような、初めての感覚ばかりが待ち受けています。

それをうまく表現できるようになり、自分の力で折り合いをつけられるようになるには、まだまだ時間がかかるようですね。

それがうまくできるようになったとき、子どもや親にはどのような景色が見えているんでしょうね。

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