価値観の違う人のそばにいて息苦しいなら批判するのではなく距離を置く

”自分の気を乱す人とは距離を置きなさい”

ヨガの古典にもこのように書かれています。

我々は常に人との関わりの中で生きていますので、たくさんの出会いの中でどうしても気が合わないとか、価値観がかけ離れ過ぎている人と出会うこともたくさんあります。

そういう人に対して自分の価値観を押し付けたり、間違いを正すということはあまり得策ではありません。

そしてこれは別に、負け犬になれというわけではありません。

多様な考え方を受け入れ、認めた上でそっと距離を置くことが、お互いのためであり生きやすくなるヒントになると考えています。

価値観が違う人に対して無理に同意する謎の同調圧力から脱却せよ

一つの事象に対して、みんなが”右へならえ”と言わんばかりに同意していたら、気持ち悪くないですか?

よくみられるのが、SNSでインフルエンサーに媚びている人たち。

「激しく同意します」「おっしゃる通りです」「勉強になります」などなど、みていてやや気持ち悪いくらいに同調しているのをかなりの頻度で目の当たりにします。

あれが本当に本心なのかは別として、誰しも個性がありますから、何でもかんでも相手の発言に同意するなんてことはほぼあり得ないと思っています。

もちろん、自分と同意見だというケースもありますし、上記のようなインフルエンサーに対する発言が間違いとは言いません。

でも、全てにおいて盲目的に同意するというのは、やめておいた方がいいでしょう。

多種多様な価値観が文明や発展をもたらしてきたという事実を尊重する

人が一生のうちに出会う人なんて数え出したらキリがありません。

そしてその中には自分とは明らかに価値観が違う人もたくさん登場します。

真面目に勉強している授業中に妨害してくる不良とか、並んでいる列に無理やり割り込んでくる人とか、その場の空気を読めてない人とか、挙げるとキリがないほどです。

でも、クラスメイトだから、ご近所さんだから、仲の良い友人の知り合いだからなど、これもまたいまいち腑に落ちない理由で心に無理をして、付き合いを続けている人もいるのではないでしょうか。

住んでいる国や地域、育ってきた環境、何もかもが違う人と、同じ空の下で社会生活を営んでいて、そいういった多種多様な価値観の集まりが、ある意味で文明や社会を発展させてきたのだと思います。

なので、それらを尊重しつつ、共生していく必要性があります。

相手を自分の価値観に引き込んだり、社会一般的に標準的、常識的だと思われる範囲から逸脱していると指摘したり、こちらのテリトリーにおさまるように訂正を加える行為はナンセンスだと思うのです。

自分と価値観が合わないなら矯正せずに共生すべく距離を置く

上記をまとめると、世の中にはいろんな人がいて、自分に合う人と合わない人が出てきます。

みんな違っていていいんです。それが個性なので。

そういった異なる個性の集まりが今日の社会や文明を作っていると言っても過言ではありません。

特に私は基本的に保守的なので、新しいものにどんどん飛び込んでいく人とか、相手にガンガン話かける人はちょっと苦手です。

だからと言って、相手を自分の納得できる状態まで引き込むように訂正を加えるというのは、文明や社会の発展を阻止するようなものなのでナンセンスです。

逆に相手からみれば、変な正義感や価値観のもと自分の思想を妨害してくるということで、逆に攻撃的な批判をこちらに加えてくる可能性もありますので危険を伴うこともあります。

そうではなくて相手の個性を尊重しつつ、そっと距離を置くというのが、社会のためであり相手のためであり自分のためでもあるのです。

多様性を認めつつも、自分が生きやすい世界を構築していくために、無理をして同調したり相手を訂正したりするのではなくそっと距離を置く。

自分の目の届かないところで、その人なりのコミュニティの中で生きていくことはそれほどこちらに与える影響はありません。

もちろん相手にとっても自分が害を与えることはありませんから、いちばん平和的だと言えます。

昔から”類は友を呼ぶ”と言います。

自分が一緒にいて心地いいと感じる人というのは自然と自分の周囲に集まってくるし、逆に息苦しいと感じる人とは自然と距離を置くものです。

もしかしたら、今の自分に対して”生きにくい”とか”息苦しい”という思いを抱いている人がいれば、そっと距離を置くという方法をオススメします。

そしてそれは悪いことではなく、約5,000年の歴史を持つヨガの叡智がつまった古典のなかにも記されています。

要するに、国や時代が変わっていったとしても、苦手な人と距離を置いて生きやすい環境をつくるのは、変わることのない当たり前のことなんですね。

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