鵜呑みにせず批判的吟味をするのとただの批判は全く違う

講演会や本の内容について、そのままそれが正しいのだと思って鵜呑みにしていると、その人の考え方はすんなり自分の中に入ってきます。

ただ、そこから新しい何かを見つけたり、新しい課題を発見したりする場合にはただ首を縦に振るだけではなくて、「本当にそうなんだろうか」とある意味で疑いながら吸収していく必要があります。

このことを批判的吟味とか批判的思考みたいな呼び方をします。

ただ、これは単純に批判するだけということとは全く意味が違います。

そのことを頭ではわかっていたとしても、徐々にただ批判するだけの思考に陥ってしまうということも想定されます。

時々、我に帰って自分を俯瞰的に眺めてみて、必要に応じて修正を加えることも必要です。

批判的吟味(批判的思考)は前向きでポジティブななアプローチ

批判的吟味(批判的思考)というのは、物事を前に進めるための思考であり、そこには前向きでポジティブな空気が流れています。

たとえば、私が学会である事象について報告し、その根拠となるエビデンスなども加えて、自分の考察を述べるとします。

それに対する質疑応答の時間に誰一人としてなにも質問や発言がなかった場合、おそらく私の報告を正しいのだと解釈してしまっていて、鵜呑みにしている可能性があります。

なので、この報告からはそれ以上の議論に発展することはなく、発表が終了した時点で議論も終わり、それ以降の発展はありません。

一方で、オーディエンスが興味深いと感じる演題については、大入満員で会場から溢れるほどの人が集まっており、質疑応答も活発に行われています。

その質疑をきいていると、やはり批判的に吟味をしているということを目の当たりにします。

ただし、ただ批判していることとは全然違いますので、質疑があるたびに理解が深まりますし、議論も活発になり内容が前進しているのを感じます。

私はこういう場面で鵜呑みにしてしまうことが多く、質問はないかと問われても特に発言することもなく終わってしまうことがほとんどです。

演者もしっかりと発表の内容を作り込んでいるわけですから、普通に首を縦に振って聴いているだけでは質問事項は生まれてきませんね。

批判は後ろ向きでネガティブであり議論が前進しにくい

特に深い考えもなく、ただの根拠のない批判になってしまっては、議論はそこから前進することはほとんどありません。

SNSのネガティブコメントなどもその例です。

その場の負の感情にまかせて、根拠のない誹謗中傷をするということは、ただの批判でありネガティブな反応しか起こすことができません。

最終的には誰も得をすることがないし、批判的思考とは似ても似つかぬ結果をもたらすことになります。

鵜呑みにしないということは共通しているようにも見えますが、目指すべきゴールが正反対になっているため、これらは明確に区別されるべきものです。

批判的吟味をしているつもりがただの批判になっていないか

私も、ただのイエスマンではクリエイティブは発想や前向きな議論の進展に至らないと思い、本や講演の内容を批判的吟味を加えつつ傾聴していこうと心がけています。

そうすることで、オーディエンスと演者の双方にメリットがあると考えたからです。

でも、これは常に気をつけていないとただの批判で終わってしまうという最悪の結果の方にシフトしていく可能性があります。

最終的に目指すのはポジティブな議論の進展であるということを常に忘れずにいること、そしてそのような思考になっているかということを俯瞰的に常に自分に問いかけることが必要になると思います。

事前に深く学んでから聴講したり本を読むのも効果的

的外れな指摘とか、ただの揚げ足取りみたいにならないためにも、事前に基本的な予備知識を得た状態で望むのがいいでしょう。

基礎的な知識がゼロだと、なにか質問して貢献したいと思っても前向きに議論を進展させていくほどの質問が出てこないことが多いです。

ここが、私自身もうまくできていないポイントでもありますので、自戒を込めてこの文章を書いています。

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